Interview

諏訪のひと インタビュー01

なぜお寺に諏訪の歴史が集積されているのか?
諏訪の信仰や生活とつながる仏法紹隆寺

2019.03.29
仏法紹隆寺第39世住職 岩崎宥全さん
profile
佛法紹隆寺第三十八世宥昶師の長男として生まれる。地元中学校を卒業後、高野山高校を経て高野山大学密教学科へ進学。密教について研鑽を積むと共に仏教美術に興味を持ち仏像研究などを行う。平成14年に帰郷し、平成31年より佛法紹隆寺第三十九世住職に就任。地域活動では、諏訪圏青年会議所第17代理事長、諏訪市都市計画審議委員、諏訪市消防団部長などを務めるとともに、地域に開かれたお寺を目指し、「紅葉三山めぐり」などの取組みをおこなっている。

諏訪市の高台に位置する鼈澤山 仏法紹隆寺(べったくさん ぶっぽうしょうりゅうじ)。安土桃山時代をはじめとした様々な時代の庭園や天然記念物に指定された大イチョウがあることでも知られています。歴史的にも古く、その起源は大同年間の806年頃、征夷大将軍・坂上田村麻呂が蝦夷征伐に京都から出発し戦勝を収めた帰りに諏訪大社に戦勝報告をし、お礼の意味を込めてお堂を建立したこととされています。その後、この場所にお堂があることを知った空海により、真言宗を勉強するための学問道場としても指定されました。

諏訪地方の信仰というと、多くの人が思い起こすのは諏訪大社でしょう。しかし、神仏習合の時代には仏教文化も諏訪大社と結びつき、政治・文化・生活のなかで重要な役割を果たしてきました。古い歴史を持つ仏法紹隆寺も、そんな諏訪の歴史や文化が積み重なっている場所です。

その歴史のなかで、仏法紹隆寺には多くの古文書や美術品が残されており、現在では信州大学と仏法寺研究会といった研究機関による研究も進められています。

なぜお寺にそれほど多くの古文書や美術品が残されているのか? それを読み解くことでどんなことがわかるのか? 今回は現住職で第39世の岩崎宥全(ゆうぜん)さんに、仏法紹隆寺の歴史と役割について伺いました。

生活と政治が接合する場所としてのお寺に残された多くの宝物

——仏法紹隆寺にはたくさんの古文書が残されているということですが、なぜお寺にそれほどたくさんの文書が残っているんでしょう?

ここが古文書の集まる寺であったのは、当時の役目に関係していると言えます。仏法紹隆寺は空海によって真言宗を勉強するための学問道場として開かれました。お坊さんが学ぶために経などが必要になりますが、当時はコピー機などありません。全国いたる所に出かけ、経などをひとつひとつ書き写し、この寺に持って帰っていました。そうして集まった写本を真言宗の教科書として多くの門下生が使用していたんです。 また、かつて諏訪大社の周りには「神宮寺」と呼ばれる真言宗を広めるための寺が開かれていました。なかでも仏法紹隆寺には、開山当初から「諏訪大社の仕事を行う寺」という役目がありました。古文書によれば、田役(田んぼにかかる税金を集め、諏訪大社を維持管理する)という役目を担っていたそうです。さらに諏訪大社の仏教行事も司っていたことから、より多くの情報が集まり古文書が残されていったと考えられます。

——仏法紹隆寺には貴重な美術品も多いと聞いています。なかでも不動明王立像は、鎌倉時代を代表する仏師である運慶がつくったとされているそうですね。

実は運慶の作ではないかというのは近年になってわかってきたことなんです。約20年前、東京国立博物館の主任調査員が研究に来られた際、この寺の不動明王を見て「運慶が作った可能性がある」とおっしゃったのが調査の始まりでした。その後たくさんの調査が行われ、現在では運慶が生きていた頃の運慶工房で作られた仏像にほぼ間違いないだろうというところまでわかってきました。あまり知られていませんが、諏訪には運慶をはじめとする慶派と推定される作品が数多く残されています。これは諏訪の信仰の力もあったでしょうし、諏訪の領主の力もあったでしょう。美術品そのもの以上に諏訪一族の力、信仰の力というものこそが諏訪地域の宝と言ってもいいかもしれません。

歴史と自然が積み重なったお寺にある、諏訪人のルーツ

——江戸時代にこの諏訪を治めていた高島藩主の諏訪家は、廃仏毀釈の際にも時代に流されることなく神仏を篤く信仰していたお殿様だったと伺いました。

諏訪の信仰は独特です。縄文時代の土偶などもそうですが、かつては自然信仰であったものが次第に神様の信仰、外来の仏様の信仰などさまざまなものと混ざり合って諏訪の独特の信仰形態を作っていきました。また、医学の発達していなかった当時、祈祷などで心や体の悩みを取る役目を果たしており、生活と直結する信仰がありました。 高島藩のお殿様がそうであったように、諏訪地域の人々は信仰という面では心に1つ何か持っている人が多いように感じます。自然であったり、神様であったり、いろんな信仰形態はありますが、心に何かを敬うような思いを持っている。普段は何気なく暮らしていますが、何かにつけて神社に出かけてみたり、自分のルーツを知りたくて寺に来てみたりする人が多いと思います。

——今、宥全さんは開かれたお寺を目指して、紅葉巡りなど様々な取組みをはじめてらっしゃいますよね。

かつては寺や神社は生活に直結した祈りを捧げる場所でしたが、今は時代が変わり、神社や寺が日常から少しずつ遠い存在になってしまっています。諏訪に限らず、お寺や神社は古くから多くの人が思いを寄せてきた場所なので、今でも皆さんの心を癒す力は持っているはずです。日頃の喧騒から離れて自分と向き合う場所として、気兼ねなく立ち寄ってもらえる、お寺がそんな場所になることを願っています。 また、深い歴史のある諏訪地域には、まだまだ知られていないことがたくさんあると思います。住んでいる人たちが自分たちのルーツを知ることは、自分の暮らすこのふるさとに愛着を持ち、大切に思うことに繋がると思います。ここに残された歴史を知ってもらい、より一層諏訪のことを好きになってもらいたいです。

(取材・文 鈴木 有芙子)