Interview

諏訪のひと インタビュー04

その土地の土の香りを心や肌を通じて表現するのが郷土芸能

2019.03.31
御諏訪太鼓伝承者・太鼓打師 山本麻琴さん
profile
諏訪大社の太々神楽を伝承する御諏訪太鼓(おすわだいこ)の家元に生まれ、2歳半より太鼓を始める。国内外を巡演しながら育ち、角川映画「天と地と」やNHK大河ドラマ「信長」にも出演。祖父である御諏訪太鼓宗家・初代小口大八師や父・山本幹夫師の両師より太鼓を学び、伝承活動を続けている。太鼓界のエキスパート・ジェネラリストとして、日本はもとより世界中で公演を行いながら、元旦とお舟祭りには、毎年必ず諏訪大社太鼓奉納を続けている。

ソロ奏者としては10代より、喜多郎氏(シンセサイザー奏者)やチ・ブルグット氏(馬頭琴奏者)といった世界中の様々なジャンルのアーティストらと共演し、ライブ活動を行なっている。

諏訪大社の太々神楽として長い歴史を持つ御諏訪太鼓。その起源を辿ると武田信玄が関係してくるとも言われています。世界中にいる御諏訪太鼓の門弟は8,000名! 岡谷市にある御諏訪太鼓道場には国内はもとより海外からも太鼓を学びにやってきます。御柱祭やお舟祭をはじめ、地域の伝統行事に欠かせない太鼓演奏は、日本の伝統文化として世界でも言葉を超えて心を震わせて人々に感動を与えています。
そんな御諏訪太鼓の伝承者・太鼓打師が山本麻琴さん。山本さんは国内外の各地を公演で巡る多忙なスケジュールのなかでも、毎年欠かさず諏訪大社への奉納を続けています。御諏訪太鼓を通してふるさとの伝統文化を継承する山本さんにお話を伺いました。

新時代に生まれ変わった伝統の音

——御諏訪太鼓の宗家という家元に産まれ、現在は伝承者として活躍されていますが、小さ
い子供の頃から太鼓に親しまれていたのですか?
祖父は御諏訪太鼓宗家・初代小口大八、そして父、母ともに太鼓演奏家という環境に育ち
ましたから、2歳半には太鼓のバチを持っていたと思いますね。地域のお祭りで御諏訪太鼓子供会の子達が演奏する太鼓の音に合わせて踊る私の姿を見た父が、今がはじめ時だと考えたようです。
記憶にはありませんが、翌年の諏訪大社奉納には衣装を身に纏っている写真が残っているので、この頃にはすでに太鼓を打っていたのでしょうね。

——御諏訪太鼓の鼓舞楽としての起源は武田信玄とも言われていますね。
御諏訪太鼓の歴史は古く、鼓舞楽としての起源は古文書(甲越信戦録)にも記されています。武田信玄が相手を威嚇するため、音を「戦法」の中で用いたり、陣営を統率したり、鼓舞するための合図として太鼓を用いたことだと言われています。その後、長い歴史の中で、明治以降途絶えていた御諏訪太鼓の譜面を読み解き、復元させたのが御諏訪太鼓宗家である祖父の大八先生です。伝統の打法に加え、大小様々な太鼓を組み合わせて演奏する形を取り入れたり、女人禁制だった太鼓演奏の門戸を開いたり、新しい時代の御諏訪太鼓を確立されました。今や会員の多くが女性になっています。

——世界での公演は、とても高い評価を受けていると伺いました。言葉を越えてその素晴ら
しさが伝わっているということですよね。
太鼓の始まりは「音」を合図・信号として使用したこと。言葉を遠くまで届かせられなかった時代に人々が意思疎通を図る手段として遠くに響く音でコミニュケーションをしていたのでしょう。人類の進化により、「音」は人々だけでなく、目に見えない神様やご先祖様にも届く「神秘的な音」として願いや祈りを届けるものとして信仰となり、天候への祈りを捧げたり、病を治すための呪術的なものとしても使われてきました。御諏訪太鼓の起源も諏訪大明神に奉納する太鼓であり、豊作祈願や無病息災といった願いを太鼓に籠めて届けていたのです。その後、武田信玄が諏訪侵攻をし、諏訪大明神に戦勝祈願をして戦地へ向かう時には、氏子である御諏訪太鼓二十一人衆が太鼓兵として連れていかれました。川中島などの戦いで、将兵の士気鼓舞をはかって戦意を高めるために取り入れたと伝えられています。
長い長い人類の歴史の中で、言葉より古くから使われていた太鼓の音は、人間の本能に響く
音なんじゃないかなと思います。海外での公演も多いので、言葉の通じない異国の人たちに
も日本の民俗芸能としてその素晴らしさが伝わっていることを実感しますね。

——太古から続く原初的なものであると同時に、この地域の文化ともつながっているわけで
すね。
小口大八先生が「鼓道十訓」のなかで、「民俗芸能、郷土芸能とはその国やその地方の人々によって、その土の香りを心や肌を通じて表現したもの」と表現されている通り、太鼓の演奏は単なるパフォーマンスではなく、その土地が重ねてきた独自の歴史や文化を伝えるから、国や人種を超えて人の心を打つのだと思います。
御諏訪太鼓も、厳しくも偉大なこの諏訪の自然への畏敬から生まれたものですから、まさに
郷土芸能と言えますよね。
僕は海外での公演も多いので、演奏だけではなく、御諏訪太鼓の生まれた背景も一緒に伝え
られたらいいなと思っているんです。食であったり、文化であったり、人であったり、世界に自慢したい諏訪の素晴らしさはたくさんありますからね。太鼓の演奏を通して、ふるさとのビハインドストーリーまで伝えられたらなと思います。

——山本さんは海外での活動も多いですが、地元地域でも積極的に活動されていますよね。

はい。御諏訪太鼓という伝統芸能に、子どもたちが触れる機会をもっと増やしたいんです。

昔は地域のお祭りなんかで子供達が太鼓を披露する機会は多くあったと思うのですが、時代が変わり、今では触れられる機会がほとんどなくなってきています。長い歴史を持つ諏訪の太鼓文化ですから、子どもたちとの接点を持ち続けて行けるようにしなくてはいけないと思っています。

僕にとって、太鼓はライフワークですから、御諏訪太鼓の活動を通して諏訪の素晴らしさを世界に発信したり、子どもたちにふるさとの誇りを伝えたりできたらいいですよね。

(取材・文 鈴木 有芙子)