Interview

諏訪のひと インタビュー02

冒険のルーツは諏訪湖。
サイクリングを通してふるさとを元気に

2019.03.29
スワヤツサイクル 代表 小口良平さん
profile
1980年生まれ、長野県岡谷市出身。大学卒業後、建設会社に勤務。アウトドア業のアルバイト等も含め5年で貯金した1,000万円を夢の資金として、2007年3月から1年かけて日本一周。その後、2009年3月から2016年10月まで世界一周の旅に出る。日本を含めて約8年半をかけて157の国と地域、155,502㎞を走破。日本における自転車冒険では1位の国数。世界では推定3位の記録を樹立。帰国後は旅で得た経験を講演会、書籍&ライター業、サイクリングイベント等で伝える。2020年までにはカフェ&ゲストハウスを開き、自転車冒険塾を開講予定。さらなる次の夢は南極、月への自転車旅。

全国的なサイクルツーリズムの盛り上がりから諏訪エリアでも豊かな自然風景を背景に颯爽と駆け抜けるサイクリストを多く見かけます。
諏訪エリアでもサイクリングがもっと身近に、誰もが気軽に利用できるような、そんな仕組みづくりが始まっています。仲間とともに「スワヤツサイクル」を設立し、諏訪エリアのサイクリング環境の整備やサイクルツーリズムの普及を目指して活動されている小口良平さんは、自転車世界一周の日本記録保持者。8年半かけて世界157の国と地域を旅した冒険家です。
今回は、サイクリングを通して、諏訪の素晴らしい魅力はもちろん、大人と子ども、みんなで諏訪を楽しむことを提案している小口さんにお話を伺いました。

先回りして何かを諦めてきた情けなさ

——走行距離16万キロ、世界157の国と地域を8年半かけて巡った自転車冒険のきっかけはなんだったのですか?

岡谷市に生まれ育ち、大学進学で初めて地元を離れ、法律の勉強をしました。大学生活では特に大きな目標もなかったのですが、就職活動の時期を迎えた頃、ぼんやりと違和感を感じ始めていました。就職面接は問題なく進んでいっていたのですが、ある時、書類を通した自分しか見られていないことに気付いたんです。その途端、自分自身の将来がふっと見えたような気がしました。「本当にやりたかったことってなんだったんだろう」東京の下宿で天井を眺めながら考えていた時、ふと頭に浮かんだのが諏訪湖でした。
まだ小学生だった頃に3歳上の兄と自転車で諏訪湖一周をした時に、車窓からの見慣れたいつもの風景も自転車の目線だと新鮮で、知らない国を冒険しているような、とても楽しい記憶が蘇ってきたんです。もやもやした気持ちを吹っ切りたくて、衝動的にママチャリにペットボトルを突っ込んで飛び出し、目的もないまま思いつきで箱根に向かうことにしたんです。唐突に飛び出したのは真夜中だったので、行く先々で警察に止められたり、交通量が多かったり、坂道は険しかったり……軽い気持ちで出発したものの、自転車はママチャリで、なんの装備もなかったので本当に大変で、途中何度も後悔しましたね。それでも5時間くらいかかってやっと湘南の海まで到着した時には、本当に疲れ切ってコンビニの駐車場で動けなくなって座り込んでしまいましたね。

——東京から湘南というとざっと60km前後。ママチャリではハードな距離ですね。

はい。「なんでこんなところに来てしまったんだろう」という後悔とモヤモヤしていたいろんな思いが込み上げてきて。
考えてみたら、これまでの自分はいつも先回りしていろんなことを諦めてきたんです。「サッカーをやっていたけれどサッカー選手になれるわけではない」、「法律関係を勉強したけれど弁護士になれるわけではない」……。それに気付いたら悔しくて、情けなくて涙がどんどん溢れてきました。「何かあったら自分は逃げる人間なんだ」って。
そしたら、早朝にコンビニの駐車場でへたり込んで大泣きしてる私の姿を遠くから見ていたおばあちゃんが近づいてきて、ペットボトルのお茶を差し出して声をかけてくれたんです。「汗と涙は人のために流すものだよ。自分のために流す涙は今日だけにするんだよ」と。事情も知らない見ず知らずの自分にかけてくれたその一言は、悔しくて、情けないだけだった自分を奮い立たせてくれて、そのあと一気に箱根まで走りました。帰路ももちろん大変でしたが、思いつきではあっても一つのことを成し遂げることができたという小さな成功体験はモヤモヤを吹き飛ばし、自分の考え方を大きく変えてくれました。

「自分を変えたい」、その思いで耐えた節約生活

——「世界一周の旅」を具体的に考えはじめたのはいつだったんですか?

箱根までの旅のあと、大学卒業を控えて1か月ほどチベットを旅しました。旅する中で、チベットの人たちと日本人の違いを肌で感じました。顔はとてもよく似ているんですが、言葉も違うし、生き方も違う。食事や文化など何もかもが違い、カルチャーショックを受けました。同時に今までの自分の生き方は当たり前で正しいと思っていたけれど、目の前に敷かれたレールに乗っていただけだったことに気付いて「当たり前って何だろう」と思ったんです。日本にいるだけでは知り得ない世界のルールを全部見てから自分の生き方を決めてもいいんじゃないかって。で、その時やっぱり思い浮かんだのは、子供の頃に兄と自転車で諏訪湖を一周した冒険の旅だった。それで自転車での世界一周を決めたんです。

——世界一周への挑戦は、精神的にも経済的にもとても大きな決断だったのでは?

世界一周をするにはお金もかかります。大学卒業後、就職して仕事を始めてからは好きなものや趣味も一切辞め、食べることも節約し、徹底した節約生活を始めました。節約生活は厳しくて、時にはお腹が減って砂糖水を飲んで過ごす日もありましたし、食事は決まって自分で握ったおにぎりでした。何度もくじけそうになりましたけど、「諦めたらまた今までと同じことになる」「何が何でもやり遂げて自分を変えたい」という気持ちでした。忍耐強く節約生活を続けることで約5年で1,000万円貯まり、27歳で日本一周、その後29歳で世界一周への自転車の旅に出発することができました。

帰国して気付いたふるさとの魅力

——帰国されてからは、諏訪エリアのサイクリング活性化のための活動をされてますよね。

2016年に8年半の旅を終えて帰国し、諏訪に戻ってきました。それで、改めて新鮮な目でふるさとを眺めたら、この地域って特異性というか可能性がたくさんあって、魅力に溢れた地域だなと感じたんです。諏訪エリアは周囲を360度山々に囲まれていて、ある意味閉鎖的な世界です。逆に言えば他からの影響を受けにくく固有の文化が残された地域。私は外の世界を知りたくて日本を飛び出しましたが、世界を巡って、改めてふるさと・諏訪の魅力に気づくことができました。
サイクリングともとても相性がいいんです。諏訪エリアには諏訪周辺のようなフラットな道路から、霧ヶ峰や蓼科方面に上がるようなダイナミックな道路まで、初心者から上級者まで楽しめる環境が約60キロの間にぎゅっと詰まっているんです。これって、サイクリストにはとても魅力的なことです。この環境で自転車を楽しまないなんて、もったいないですよね。それで、もっと身近に、誰もが気軽に利用できるようなサイクリングの仕組みづくりをしようと仲間と共に「スワヤツサイクル」を立ち上げて活動をはじめました。
最初は移動するための手段だった自転車という乗り物が、旅を続けていくうちに、いつの間にか私のアイデンティティーとなり、ライフワークとなっていきました。今は自分の得意なサイクリングを通してもっと地域を盛り上げたいなと考えています。

——具体的にはどんな活動をしているんですか?

たとえば、もっと快適にサイクリングを楽しんでもらうためにサイクルスタンドの設置やサイクリングガイドの養成などにも取り組みはじめています。
サイクルスタンドの設置場所も今よりもっと増やしたり、サイクリングロードの整備やサイクリングガイドの養成を薦めることで、自転車を楽しむためにこの地域に遊びに来る人も増やせると思うんです。そういう「サイクルツーリズム」をこの地域にもっと取り入れていきたいと思っています。

——「自転車」をキーワードにいろんなことができそうですよね。

はい。自転車はハブにもなります。カフェやゲストハウスなどのサイクルステーションをつくることで、自転車に乗る人も乗らない人も交われるような場所を生むこともできるでしょう? そういう場所も設立していきたいと思っています。
それから、子どもたちといっしょに楽しむ冒険塾もやりたいですね。自分の原点、原風景はやっぱり兄と自転車で諏訪湖を一周した冒険の旅なんです。そのワクワクを子どもたちと共有したい。子どもの頃にふるさとで何気なく体験した楽しかったこと、ワクワクしたことが多いほど、ふるさとへの愛着って増すと思うんです。
諏訪をフィールドにして、僕たち大人が楽しんでいる姿を子ども達が目の当たりにして、「なんだか、楽しそうだな」って伝われば、きっとふるさと諏訪の魅力は子ども達にも自然に伝わっていくんじゃないかと思っています。とにかくやりたいことはたくさんあります! 自分の好きなこと、得意なサイクリングを通して全力で諏訪を楽しんで、元気にしていきたいと思っています。

(取材・文 鈴木 有芙子)